中学生の時、生徒のみなさんは
1000m走や1500m走を
体育の時間に行ったと思います。
その時仮に、こう言われたら
どう思うでしょう。
「1500mを5分以内に
走り切らなければならない」と。
(まあ、走り慣れている人であれば
「そんなの余裕」と言うかもしれませんが…)
一般的に多くの人は「かなり大変だ…」
と思うことでしょう。
思い返してみると私が
中学生だった時には
1500mで5分30秒近くだったと
思います。
当然の話ですが、ここで
「かなり大変だ…」⇒「無理!辞めよう…」
となれば、
この先5分切は不可能です。
そうではなくて、
「かなり大変だ…」⇒「やるだけやろう!」
こう思って練習を続けていれば
達成できる可能性は出るわけです。
勉強も同じですよね。
(またか…と思わないでください笑)
例えば、
高校で英単語をほとんど覚えず、
高校1年間を
終えてしまったとします。
ここから高校の進度に追いつくには
英単語の習得
(高校によっては1年間で約1400語)
はもちろんのこと、
様々な英文法を習得しなければなりません。
英単語をほとんど覚えていない
生徒の場合、おそらく
2年生の学習と1年生の学習を
並行して行うのは
本当に大変です。
そのような生徒にとっては
学校の進度に追いつくことは、
「かなり大変だ…」という
状況を意味するかと思うのです。
「かなり大変だ…」⇒「無理!辞めよう…」
そう思ってしまうかもしれません。
しかし、今ここで動かなければ、
先ほど言った1年生時に習う
英単語、英文法に、
新しい内容が追加されることになり、
1500mを5分切だった基準が、
4分50秒切りとなるようなもので、
さらに過酷な状況となります。
何もトレーニングをしていないのに、
ハードルだけが高くなってしまう…
それこそ、「無理!」という
状況に陥ってしまいますよね。
スポーツにしても、
勉強にしても、
そして、我々大人の仕事にしても、
「かなり大変だ…」と
思うことはたくさんあります。
目の前に立ちはだかる大きな壁に
挫けそうになることが
たくさんあるかもしれません。
しかし、
「かなり大変だ…」⇒「無理!辞めよう…」
となるのか。
それとも
「かなり大変だ…」⇒「でも、何とか!」
となるのか。
そこには大きな差があると思います。
「大変だ」と思うこと自体は
何も悪いことではありません。
立ちはだかる高い目標を目の前に
そう思うのは自然なことですから。
今までの遅れがあるならば、
それは仕方のないことです。
しかし、「大変だ」と思った後が
大事です。
それでも一歩を踏み出せるか。
次の一歩を踏み出し、
努力を続けることができるか。
高い山の頂上がいつまでたっても
見えてこず、
嫌になることもあるでしょう。
それでもなお、
それでもなおです。
一歩を踏み出し、
努力を続けられるかどうか!
それができる人には、
いつの日か自分が思い描いた
明るい未来が訪れることになるのは
間違いないと思います。