攻めの「心」

攻めの「心」

6月3日木曜日、20時過ぎ。

自習のために塾に来た生徒がいました。

ここではAさんと呼ぶことにします。

秦野英語塾では、

自習に来る生徒にはその日にやる

勉強内容と到達地点を聞くようにしています。

全て消化したら終了です。


「明日1時間でも、30分でも、10分でも

来ることが出来るなら是非自習においで」

昨日の授業終了時、Aさんに声をかけました。

補習でも追試でも強制自習でもありません。

ですがAさんは塾に自習に来たのです。


「30分程度の短い時間では何も変わらない」

このように考えてしまうかもしれません。

言わせてください。断じて違います。

それはもちろん、

たとえ10分でも5分でも、

そして極端な話、1分でも

毎日積み重ねる勉強により

大きな差が生まれるからです。

そしてもう1つ、

30分を犠牲に出来る「心」の理由です。

これが非常に大切なのです。

授業時間に来る、追試指定時間に来る、

また補習、強制自習で来る、

これら全ては当たり前。

言われたことを、言われた通りにやる

ということですから。


自主的に自習に来るというのは違います。

短い時間であったとしても、その時間の中で

「自分は少しでも長く、少しでも多く勉強する!」

そのような攻めの「心」が表れることになる。

自身のために考えて行動したことになる。

「心」あらず受け身の生徒が過ごす60分と、

攻めの「心」を持つ生徒が過ごす60分とでは、

大きな差が生まれてしまうと想像出来るかと思います。




試験で結果を残す生徒、

試験で残念な思いをする生徒。

どちらに入るのか?

受け身の「心」を持つのが正解か、

攻めの「心」を持つのが正解か、

答えは言うまでもありません。




Aさん、この調子で頑張りましょう。

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